YS11A 「ばんだい号」事故から36年が経過

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昭和46年7月3日(1971年)、PM06:10頃、東亜国内航空(日本エアシステム→日本航空)の札幌丘珠空港発、函館空港行きの63便、YS11A「ばんだい号:JA8764」が、乗客64名、機長以下乗員4名の計68名を乗せたまま、函館空港北方約17キロ地点の横津岳に墜落、全員が死亡した。
この悲惨な大事故から、今年で36年が経過した…..
地元函館で発生した事故でもあり、この悲惨な航空機事故を見直す意味で、当時の関連スポットをその経過とともに何ヶ所か散策してみた。
この事故を契機に、航空路監視レーダーの充実やNDB(無指向性無線標識)から、より精度の高いVOR/DME(超短波全方向式無線標識/距離測定装置併設)への計器進入方式の移行など、航空保安施設の安全面での施策が本格的に図られ始めたとも言える。事実、事故後横津岳には航空路監視レーダーのドームが設置され、航空路を行きかう航空機の安全性を高めている。
また、事故機の副操縦士が外人パイロット(事故当時は慣熟訓練のため機長席で操縦)だったため、運航面でも様々な問題点を投げかけた。事故当時の航空界では、パイロット不足が深刻な問題であり、各航空会社では外人パイロットの比率が非常に高かった。その後は、防衛庁割愛、自社養成、航大の高卒入学認可、民間委託訓練など、いろいろとパイロット不足解消の手立てが急速に打ち出された時期でもある。
当時の函館空港は、滑走路が1200mほどで、現在の滑走路(3000m)よりARP(飛行場標点)が西側寄りに位置していた。低い旧管制塔も旧空港道路沿いにあり、羽田便のANAはフレンドシップF27(ターボプロップ機)が就航していた。ターミナル建屋やエプロンも貧弱で、飛行場管制もレディオであったため、タワーでの管制官とは違い、管制通信官がその業務をおこなっていた。そのため、レディオでは離着陸の最終判断は、管制通信官ではなくその機長にあった。航空保安無線施設においては、当時はNDBが主体の飛行場が多く、函館空港もご多分にもれずNDBオンリーであった。そのため、現在のVOR/DMEとは精度の面で少々劣っていたといえる。

■事故の概況
7月3日、事故機は計器飛行方式により、目的地函館空港に向け、航空路「白2」を巡航高度10000フィート(3048m)で飛行、PM06:05頃函館NDB(現在は廃止)上空にさしかかり、「高度6000フィート(1830m)、ハイコーンで通知する」との無線連絡を最後に、突然消息を断ってしまった。
当時の天候は、低気圧の影響で風雨が強く、視界もよくなかったが離着陸可能な最低気象条件ギリギリではあった。
PM06:38、通信捜索を開始し、それとともに海上保安庁、警察、自衛隊にも捜索を依頼。PM07:40、海上保安庁および自衛隊所属の航空機2機、船舶14隻が捜索救難活動に入る。
捜索活動は、翌日(7月4日)も引き続き大規模に展開され、航空機延べ59機、船舶延べ40隻、地上捜索員は約3000名が動員された。
7月4日、PM05:25、自衛隊のヘリコプターが函館北方17キロの地点、横津岳(標高1167m)の中腹で、事故機の機体を発見。
7月5日、AM04:00から自衛隊400名、警察署員200名および地元消防団員により、遺体の収容作業を開始、AM11:20に事故現場からの遺体の搬出が進められた。当時は横津岳山頂への舗装道路など全くなく、事故現場には七重岳(標高779m)から谷を越えて向かったようである。
7月5日、PM01:40に68遺体全部の確認がおこなわれた。
その後、七飯町地域センターにおいて検視をおこない、となりの正覚寺で待機していた遺族により身元確認がおこなわれた。
7月6日、AM01:00までに遺体全部の身元確認が終了する。
身元確認が終わった遺体は、函館市内大森町にある慰霊堂に移され、荼毘に付された後、仮法要を済ませ遺族とともに東亜国内航空特別機などにより帰宅の途についた。

■事故の原因
事故当時、様々な原因が考えられた。悪天候での函館空港への誤進入、パイロットミス、計器類の故障、静電気の異常作用による位置の誤認、NDBの狂いでの飛行高度の誤認等々。
報じられている資料をみるかぎり、当時の函館空港は、着陸を決心する最低限の気象状態を満たしている程度であり、濃霧の中、機長は函館空港上空(函館NDB上空)を北側約5マイル(9km)地点とその位置を誤認した。そして、1回の降下旋回によりハイステーシヨンを2500フイート(762m)で通過しようとしたために、その飛行経路が西側に広がり、津軽海峡からの強い南西風によつて、予想以上に北側へと(横津岳などの山岳地域方向)機体が大きく流されたと推定されている。
函館上空を誤認した理由としては、出発時にプランされていた飛行計画の函館NDB通過予定時刻を、函館周辺の気象状況により、機体降下中にその通過時刻を1分修正したにもかかわらず、結果的にさらに2分ほど遅れた。そんな中、機長はADF指針の函館NDB局直上(オーバーステーシヨン)を極度に注視して、オーバーステーション後の定められた着陸進入手順開始のタイミングを雲中で揉まれながら図っていた。しかし、前述した当時の厳しい気象状況により、実際には函館NDB上空とは違う位置(北方約9km地点)で、ADF指針の大きな振れや回転などがあり、その位置を函館NDB局の直上と判断、進入降下手順を誤った位置で開始してしまったものと思われる。
その結果、機長はそのオーバーステーションから横津岳をクリアしているものと判断し、定められた着陸コースに入り高度を下げ始めたが、実際には横津岳をクリアしておらず、その中腹に激突したものと推測されている。ただし、事故機にはフライトレコーダーが搭載されていなかったため、詳細な結論を出すまでにはいたらなかった。

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ADF(機上自動方向探知器)

NDBの電波は長/中波帯(190~415KHz)を使用しており、NHKのラジオ放送局と同様の周波数帯のため、AIP(航空路誌)ではADF(機上自動方向探知機)で使用できる参考用の補助的電波局として、全国の標準放送局の周波数を、現在も掲載している。もちろん、参考用なので公的機関が管理するNDB局とは違い、計器飛行方式などには全く使用されることはない。その周波数帯からも、NDBはけっして高精度とはいえず、地理的な条件(山岳誤差、海岸線誤差)や雷電などの気象現象などにより、その影響を受けやすい。そのためにVOR/DMEで設定された航空路に比べ、NDBでの航空路は誤差分を考慮して、その航空路の幅を広く設定してある。航空機上のADF受信器は、目的局の周波数を選択したときに、その識別符をモールス符号で確認する(廃止された函館NDBの例:識別符[HW]、トトトト・トツーツー、目的局をNHKの周波数に合わせた場合は、モールス符号の代わりにラジオ放送が流れる)。目的のNDB局を目指すには、ADFの指針を一定に保てば到達できる仕組みになっている。(ホーミングという)
航空機がNDB局の直上に到達すると、航空機に搭載されているADF受信器の指針が360度回転し、その局の直上(オーバーステーション)であることを確認できる。おそらく、「ばんだい号」も同様の方法で、函館NDB上空を認識したはずである。しかし、地理的要因や気象条件などの原因により電波が歪み、その局の指示ポイントが大きく傾くことがある。その場合には、NDB局の手前など、大きく外れたところを局上として誤指示することも考えられる。特に雷による影響は大きく、静電気を帯びた積乱雲の近くでは正確な方位を指示しないことがある。
事故当時の悪天候の状況を考えるに、こうしたNDBの指示誤差が、機長の判断を誤らせた一因であったと言えなくもないが、航空機事故はいくつもの要因が重なりあって発生することが多い。厳しい雲中飛行では、パイロットの心理上、少しでも早く雲から脱したいとの思いが働き、高度処理を早まることもある。来日して間もない外人副操縦士が、函館の上空に不慣れであったことなども一因と言われているが、これも確証があるとはいえない。

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墜落地点:函館空港から北北西約17kmの地点

■最後に
函館空港をはじめ当時の多くの地方空港は、現在とは比較にならない位、その航空保安無線施設が貧弱であった。最近の主な地方空港では、ILS(計器着陸装置)、ASR(空港監視レーダー)、VOR/DMEなどがあたりまえのように設置されている
さらに、最近ではVOR/DMEなどの航空保安施設に依存しない、新たな次世代航法システム、MSAS(運輸多目的衛星用衛星航法)のサービスも近々共用開始される。函館空港も今年の9月27日から、このサービスがスタートされるが、事故当時の函館空港は、NDBが唯一の航空保安施設であった。
ただ…今、この「ばんだい号」事故を振りかえるに、36年前の地方空港の安全飛行に関する最良な航法機器はNDB、ADFのみであったことと、「ばんだい号」にとり、厳しい気象条件下での函館空港着陸進入および着陸決心であったことだけは、どうやら確かなようである。

36年の歳月の長さは、函館空港の外面(施設外観)を著しく進化・拡大させてきたばかりでなく、内面(安全面)も間違いなく、確実に進歩・改善させてきている。
残念ながら、このような悲惨な航空機事故を教訓に、航空界では安全に対する改善が様々となされていく。36年の安全飛行の長い歴史の時をこの事故に感じながら、「ばんだい号」慰霊碑に花を捧げ、両手を合わせた。
そして、犠牲になられた方々のご冥福を心より祈りながら、横津岳を下山した。

函館市内、亀田中野町周辺より横津岳の事故現場を望む。
「ばんだい号」慰霊碑近くの事故現場から函館空港を望む。 手前は、現在休止している横津スキー場のリフト。
慰霊碑入り口には車数台が置ける駐車スペースがある。
駐車スペースから少し登った位置にある慰霊碑エリア。
慰霊碑の裏側には、ばんだい号の事故で亡くなられた乗客・乗員68名全員の名前が刻まれている。
遺体が最初に収容された「七飯町地域センター」
遺族により、遺体の身元確認がおこなわれた「正覚寺」
遺体を荼毘に付し、仮法要をおこなった「慰霊堂」
「ばんだい号」慰霊碑から、2.5KmほどをCAB(航空局)管理の舗装道路を登れば、横津岳山頂へとたどり着く。
山頂には、南北海道から東北北部にかけて航空路や飛行空域をカバーしている、航空路監視レーダーサイトがある。
航空路監視レーダーがカバーしている空域の立て看板。
横津レーダーサイトの北西方向眼下には、大沼国定公園の全容と活火山駒ケ岳(標高1131m)が広がる。
横津岳山頂から北側の鹿部飛行場と鹿部町を望む。内浦湾の向こうには室蘭。 「ばんだい号」は、おそらく札幌/丘珠空港よりこの方角から飛行して、函館空港への進入を開始したと思われる。 (Shikabe AD RWY07/25 890×30m)
<現在の函館空港データ>
  • 所在地:函館市高松町511
  • 位置:414612N,1404919E(WGS)
  • 標高:111.9ft (34.1m)
  • 空港種別:拠点空港(国管理空港)
  • 運用時間:0730~2030(JST)
  • 管理者:国土交通省東京航空局函館空港事務所
  • 滑走路NR(MAG):12/30
  • 滑走路長:3000×45m (9840×150ft)
  • 滑走路面質:アスファルト・コンクリート
  • 滑走路面強度:PCN 83/F/C/X/T
  • 通信施設:TWR(タワー) 118.35MHz,126.2MHz、APP/ASR(アプローチ/レーダー)119.0MHz,121.0MHz、 DEP(デパーチャー) 127.9MHz,121.0MHz、ATIS(飛行場情報放送サービス) 126.6MHz 保安無線施設:VOR/DME(超短波全方向式無線標識/距離測定装置併設) [HWE] 112.3MHz/1157MHz(CH-70)、 ILS-LLZ(計器着陸装置:カテゴリーⅠ) [IHL] 109.3MHz、MSAS(運輸多目的衛星用衛星航法) 1575.42MHz

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